「今日は気持ちのいい新しい一日だ。さあ、仕事に取りかかろう」
この言葉にはJohn F. Nichols, MSM, CLUの感謝の心と、前進する姿勢が凝縮されています。
25年間MDRT会員であり、新会長に就任したNicholsは人生という道は一瞬で逆境に変わりえること、そして小さな継続的な行動が成功への道を築くことを知っています。プロとしての新たな高みへ到達しながら、その日のうちに全てを失いかけた経験もしています。そして、真の成功には「目的意識を育て、行動に投資すること」が不可欠だと信じています。
その証拠に、土曜の午前5時から始まる3カ年プログラムにすでに2年間参加し続けています。
「先週土曜の授業は、『I(自分)から卒業してWe(私たち)へ』がテーマでした。無私の精神で行動する人生における義務について学びました。今まで読まなかったような本を読み、異なる概念を学び、思考を変えるトレーニングを受けています。生涯学習の一環です」と語ります。
自立と団結
Nicholsは幼少期からチームワークと自己犠牲を学びました。8人兄弟の3番目として、毎晩台所に掃除機をかける仕事と、1回3時間かかる広大な庭の芝刈りを担当しました。父は銀行員、母は手作りジュエリーの事業を営み、さらに50年間地域の学校でボランティアを続けた人でした。両親は子どもたちに早くから家事を割り振りました。子どもたちの助けが必要だったこともありますが、労働倫理観と自立心を育て、「多くの手で仕事は軽くなる」ことを教えるためでもありました。
「父は銀行の経営と同じように家庭を管理していました。私たちは家族という一つの組織だったのです」と言います。
年齢を重ねるにつれ、キャディーの仕事や清涼飲料水の倉庫で空き瓶を仕分ける仕事などを経験したNicholsはさまざまな人と接することに慣れ、数多くのエピソードを積み重ねていきました。14歳のときには電池倉庫で働き、懐中電灯用電池の入った大量の箱に値札をつける仕事を任されました。効率よく作業を終え、半日休みをもらえると思ったのもつかの間、6.99ドルの商品に誤って9.99ドルと貼り付けていたことが発覚。値札を一つ一つ剝がして貼り直す羽目になり、「正確さ」と「確認の大切さ」を痛感しました。また、父親から賃貸物件の塗装を依頼された際には、仕事を終えた後に「天井用の塗料を壁に、壁用の塗料を天井に塗った」と指摘されたことがあります。
「謙虚であることの大切さを学びました」と笑いながら語りました。
目的を見つける
当初はアスレチック・トレーナーを目指して大学に進学したNicholsでしたが、専攻を経営学、副専攻をオペレーションに切り替えました。短期間ラジオ広告の営業をした後、キャディーを務めていたゴルファーに誘われて生命保険業界に足を踏み入れました。最初顧客づくりに苦労しましたが、テレアポする際に「思考ストッパー」として手首の輪ゴムを弾くことで恐怖とためらいを克服し、やがて「電話中毒」と呼ばれるほど積極的に電話をかけるようになりました。
「どこにでも、誰にでも、いつでも電話をかけました。それが私の人生の軌道を大きく変えました」と語ります。
同僚の紹介をきっかけにNicholsは全米医科大学協会(Association of American Medical Colleges)の承認を得て、同協会に所属する60校のうち38校向けにHIV障害給付プログラムの立ち上げに携わりました。これがきっかけでキャリア8年目の1993年にMDRT入会へと繋がりました。しかし、入会基準を達成したという知らせを受けたその日は、決して忘れられない一日となりました。
再出発はむしろ私にエネルギーを与えてくれました。この挑戦を個人としてもプロとしても成長するチャンスだと捉えたのです。
当日は友人と水上スキーで祝ったものの、絡まったロープに引きずられ湖底に頭を強打し、命を懸ける事態に陥りました。C5・C6の脊髄損傷による四肢麻痺と診断され、完全な回復には6年ものリハビリを要しました。
Nicholsが不在の間、HIV障害給付プログラムに参加していた医科大学は次々と離脱し、当初の38校のうち最終的に残ったのはわずか1校だけでした。
「このビジネスがいかに脆弱かが分かります。担当者がいなくなったと思われれば、誰かに奪われてしまうのです」と語ります。
幸いにも、自分が加入していた就労不能保険がリハビリ費用を賄い、長期にわたる回復を支えました。Nicholsは「保険の給付金がなければ、今の自分はなかったでしょう」と語ります。就労不能保険の重要性を改めて実感した彼は、起業する準備が整ったと感じ、1999年にDisability Resource Groupを設立しました。起業当初は質素な生活を送りながら、電話や訪問による顧客対応に全力を注ぎました。「再出発はむしろ私にエネルギーを与えてくれました。この挑戦を個人としてもプロとしても成長するチャンスだと捉えたのです」と言います。
やがて彼は共同募集で優れた成果を上げ、就労不能保険の専門知識を生かせる他の専門家との長期的な関係を築いていきました。10年間担当していた大口顧客から経営幹部向けの福利厚生プログラムの評価を依頼された際には徹底的に分析を行い、その結果、現状のままで変更の必要はないと判断しました。このプロジェクトでNicholsは報酬を得ませんでしたが、顧客に尽くす姿勢が信頼関係をさらに深めました。その後、市場環境の変化に伴い福利厚生の強化が必要であると助言し、顧客もそれを承認しました。
「丁寧でしつこいくらいの誠意は顧客の利益に繋がる限り必ず報われます」と言います。
事故後の人生の再建は、単に身体能力を回復することにとどまりませんでした。
「この経験を通じて人生や使命、他者への奉仕、そして自分の行動が連鎖的に影響を与えることの大切さを改めて実感しました。だからこそ、人の役に立つことを最優先に考えています。私に緊迫感を感じるなら、それは時間の貴重さを誰よりも理解しているからです」と語りました。
また、体育の先生もしくは野球部のコーチが彼に「決して諦めないこと」を教えました。いずれにせよその教えは忍耐力や前向きな姿勢、可能性を信じる力を育み、やがて会社を成功に導く原動力となりました。チームは20人にまで成長し、事故から8年後にはMDRTに再入会、さらに18年連続でトップ・オブ・ザ・テーブルの資格を獲得するに至りました。
関わり、貢献する
NicholsのMDRTでのボランティア活動は、2005年にルイジアナ州ニューオーリンズで開催されたアニュアル・ミーティングのPGAトラフィック・セッションへの参加から始まりました。コンベンション・センターから5kmも離れた場所から会員を会場へ案内する役割を任されました。
「実際はMDRT会員が私の進むべき道を見つけるのを助けてくれたのです」と語り、誰もが認める謙虚さをにじませます。
個人的な繋がりや職業上の学びにとどまらず、Nicholsはメンバーシップ・ディビジョンで複数の役職を務め、メンバー・リソース部門の規定とコンプライアンス・タスクフォースの委員長としても活躍しました。また、多くの講演の機会にも恵まれました。MDRT Foundationにも10年間関わり、母校での類似イベントに触発されて、MDRT Gives Dayというグローバルな募金活動の立ち上げにも貢献しました。2022年にFoundationの会長を務めたことで、同組織が世界に与える影響や、人に尽くすことの充実感への理解がさらに深まりました。業界の他の組織への貢献として2013-2014年に全米保険・金融アドバイザー協会(National Association of Insurance and Financial Advisors)の会長も務めました。
「私たちはそれぞれ異なる道を歩んでいますが、根底では繋がっています。私たちには心があり、繋がりを求め、認められたい、そして世の中をよくしたいと願っています」と言います。彼はまた脊髄損傷からの回復を支援する複数の団体にも貢献しています。
リーダーシップの取り組み
MDRT会長として違いを生み出すことについて、Nicholsは土曜の授業からの引用として「MDRTは『私』ではなく、『私たち』のための組織です」と述べました。そして、来年に向けた取り組みとして、以下に注力します。
- AIの活用: MDRT版ChatGPTのような仕組みを通じて、MDRTの集合知を会員に瞬時に提供することを挙げています。「つまり、MDRTの膨大な知識から役立つヒントをいつでも、どこでも、好きな場所で受け取れるということです」
- MDRTのデジタル変革の推進: mdrt.orgで会員ごとのパーソナライズ体験を強化します。既存の基盤を生かしつつ各会員専用のカスタマイズ・ホームページの導入を優先し、関連リソースへの直感的なアクセスを確保すると共に、会員名簿を最新化し、MDRTブランドの活用方法について明確な指針を提供します。
- Membership Communications Committee(MCC)の影響力強化と拡大: 地域のMCCとグローバル組織との連携を深めることに注力すると共に、リーダーシップ育成やサポートに投資します。その結果、会員主導のコミュニティーが活性化し、一貫性のある高品質な地域体験を提供できるようにします。
- MDRTの対面型イベントの改善継続: 年4回の主要イベントから、MCC主催のグローバルMDRT Dayまで、対面イベントの価値提案、形式、内容を見直し、変化の激しい市場でも会員にとって意義あるものにします。Nicholsは「交流こそが会員資格の投資対効果を高めます。MDRTは常にこうした機会づくりに注力しています」と述べます。
Nicholsはしばしば、自分は会員ベネフィットを実現するという使命の一部にすぎないと繰り返します。また、自身の成功と同様に役員会も遠回りや試行錯誤、そして先人たちの貢献を通じて結論にたどり着くのだと述べます。
「もしあの何年も前に塗装した部屋にプロセス重視の仲間がいたら天井用ペンキは天井に、壁用のペンキは壁に正しく塗れたでしょう」と笑います。
「多様な個々の力が合わさることでより良い成果が生まれ、それが大きな影響をもたらします。さあ、共に世界に違いを生み出しましょう! #MDRTMade」と述べました。